ひがし大雪のアーチ橋達と保存活動 |
【 士幌線とアーチ橋 】 |
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士幌線は旭川と帯広を結ぶ大雪国道と呼ばれる国道273号線に並行した国道である。 大正15年に帯広〜上士幌間の38kmが開通した。十勝北部には豊富な森林資源が眠り、鉱物資源の採掘にも期待が寄せられていた。それらを運搬する目的で、上士幌〜十勝三股の40kmの鉄道が昭和9年から昭和14年にかけて建設された。 上士幌の町を過ぎると音更川の渓谷に沿って建設された為に、半径200mの曲線、1000m進むと25m登るという急勾配が続く。終着の十勝三股駅は北海道で最も高い海抜661mに位置し、この区間は北海道でも屈指の山岳路線であった。深い渓谷を渡り、大雪の山塊登りゆく士幌線は音更川とその支流を幾度も渡らざるを得ない。その為、大小60ものコンクリートアーチ橋が建設された。 なぜ、多くのコンクリートアーチ橋が建設されたのか?士幌線は必ずしも輸送量の多い幹線とはならないであろう。しかし沿線の人々は開通を心待ちにしている。早く建設するためにも建設費を抑えることが必要である。そこで鉄道省の技術者たちは、セメントという新素材と現地で採取できる砂利や砂を使うことによって課題解決に取り組んだ。 また技術者たちは建設費を下げることだけを考えていたのではなかった。大雪山国立公園内を走る鉄道と周辺環境との調和を目指してアーチのデザインを選択したのである。当時の技術者たちの先駆性に頭の下がる思いである。 |
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工事中の第三音更川橋梁 | 工事中のタウシュベツ川橋梁 | 完成直後のタウシュベツ川橋梁 |
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士幌線は長く十勝の振興に貢献したが、車社会の到来、森林資源の枯渇、そして過疎化などにより鉄路としての役目を終え、昭和62年、廃線になった。廃線以来、ひがし大雪の懐で静かに眠っていた士幌線のアーチ橋は、平成9年に解体の危機を迎える。 旧国鉄清算事業団が解散に先立ち、アーチ橋を解体する旨、上士幌町に伝えてきたのである。この話を聞いて上士幌町民を中心として「ひがし大雪鉄道アーチ橋を保存する会」が結成され、この後、約1年にわたり、アーチ橋の保存活動が展開された。大学の先生や民間会社社員の応援を頂きながら、保存会の役員を中心にアーチ橋の素晴らしさを理解して頂く為の写真展の開催、現地見学会、6百人以上の会員の広がり、6千名余りの署名集め、町議会への請願と町議会の保存決議、取得を想定した「保存活用策の提言書」の作成などの活動を展開した。 保存会は単に行政に要望するだけの組織でなく、提案型の組織を目指した。それは従来の市民活動によく見られる行政と対立する構図の活動ではなく、行政や研究者と協力しながら、より良い保存方法を模索する新しい活動である。 結果、平成10年に上士幌町が旧国鉄清算事業団から34のアーチ橋と線路跡を取得する事になり、アーチ橋は解体の危機から免れることができた。 |
署名活動中 | 写真展 | 現地見学会 | 話し合い |
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平成11年、地域住民がより一層、アーチ橋と線路跡の利活用を考え、実践していくという目的で「ひがし大雪アーチ橋友の会」が発足した。 友の会の発足以来、8年を経過した。その間、会員の募集、めがね橋だよりの発行、HPによる情報発信、散策地図の作成、線路跡を歩く遠足、写真コンテスト、線路跡の草刈り、絵ハガキや写真集の企画・販売、消えた鉄路の再現事業など行ってきた。 友の会が最近、力を入れているのが「鉄路再現事業」である。これは士幌線が現役であった往時の原風景を再現して、歴史の生き証人として復活させるものである。具体的には線路の敷設、駅名標や信号機の設置、トロッコの走行などである。これを各種助成団体の支援を受けながら旧幌加駅と旧糠平駅で行っている。 平成17年度には士幌線跡を利用した「北海道自然歩道・東大雪の道」が北海道によって整備された。また北海道開発局により、アーチ橋周辺の遊歩道や駐車場、案内標識などの整備が行われつつある。 友の会が管理・運営している「上士幌町鉄道資料館」はアーチ橋散策の案内役をしており、入館者数は毎年、過去最高を記録している。 現在、5つのアーチ橋と1つのトンネルが国の登録有形文化財になり、アーチ橋梁群は「北海道遺産」になっている。また、毎日新聞社主催の近代化遺産を観光対象として楽しもうという「ヘリテージング100選」にも選ばれた。 こうした友の会の10年間に亘る地道な活動が評価され「平成18年度北海道新聞・北のみらい奨励賞」を受賞した。 これからも多くの方々に関わって頂きながら、アーチ橋と士幌線跡の自然環境と一体になった利活用を考え、提案・実践していきたいと考えている。 |
線路跡の草苅り | 写真コンテスト | 遠 足 | トロッコの走行 |
線路跡の草苅り |
☆あの橋はなんだろう? 十勝と上川を結ぶ国道273線は、ひがし大雪の上士幌〜糠平〜十勝三股の山岳、森林地帯を南北に貫いています。この国道に並行して、まるで古代ローマ時代の水道橋を思わせるような大きな高架橋を所々で見かけます。それらの橋はいったい何ものなのでしょうか? じつは、1936年から1955年にかけてつくられ、かつての国鉄士幌線で使われたコンクリート造りのアーチ橋なのです。
国鉄士幌線は十勝北部の農産物や森林資源の開発に貢献した鉄道でした。1937年9月に上士幌−糠平間が、1939年11月に糠平−十勝三股間が開業しました。しかし車社会の到来によって、1978年に糠平〜十勝三股間がバス代行となり、その後、1987年には帯広〜糠平間も廃止されました。そして、鉄道の廃止とともに鉄道橋としてのアーチ橋の使命は終わりました。
いま、私たちが目にするアーチ橋は、鉄道橋としての活躍の時を終え、今度は北十勝、ひがし大雪の開拓の歴史を伝える近代産業遺産=文化財として、その姿を私たちに見せているのです。地元上士幌町の有志を中心に、行政や北海道の土木エンジニア達と一体となった保存の為の取り組みは、市民主体の近代産業遺産保存活動の好事例として、全国的に注目されています。
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国道273号線からよく見える。橋梁長が100mを越える大きなアーチ橋です。1930年に作られ、マイナス30度を越える厳しい寒さに60年以上耐えてきました。 32mのアーチが音更川を堰止めた元小屋ダムの静かな湖面に、アーチの影を落としています。周辺は桜と紅葉の名所です。 ダムの水かさの増える6月頃から湖面に沈み始め、10月頃には湖底に沈みます。水かさが減る1月頃から凍結した湖面に再び姿を現します。 |
☆ひがし大雪アーチ橋の特徴はなんですか? ひがし大雪のアーチ橋は第二次世界大戦前と戦後2回に分けて、大きなものだけでも15橋梁ほど造られました。 ●北海道で初めて造られ、全国でも初期の大型コンクリートアーチ橋です。士幌線で造られたアーチの大きさはほとんどが10mです。しかし泉翠橋の通称で親しまれている第三音更川橋梁では音更川をひとまたぎするために、32mのアーチが造られました。これは当時の日本の鉄道用としては大きなもので、第三音更川橋梁の成功により日本各地で大きなアーチ橋が造られるようになりました。もちろん、このような大きなアーチ橋の建設は北海道では初めてでした。 当時の技術者や工事にたずさわった人たちは何とか成功させようと、新しい技術を学び、様々な工夫をしました。河原でつくったコンクリートを高い橋の上まで持ち上げるために丹野式巻上機などが発明されました。また将来のために「音更線混凝土橋工事概要(1933年)」や「音更線建設要覧(1936年)」などが出版されました。さらに、士幌線でつちかわれたアーチ橋の建設技術は知床の根北線や函館の戸井線建設に受け継がれていきました。
小橋梁(五の沢) |
音更川に架かるところは36mの鉄の桁橋でした、いまは撤去されています。残ったアーチ橋の上には木が茂り、列車が走らなくなってからの歳月を感じさせます。 |
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音更川の断崖絶壁に沿った士幌線では川を渡らない陸橋もつくられました。淵に落とすアーチの影はとてもきれいです。またとてもきれいな石積み護岸が続き、天然素材とコンクリートの人工素材が自然と調和している美しい景観を見ることが出来ます。 |
ひがし大雪のアーチ橋の代表格は、国道:泉翠橋と並行している「第三音更川橋梁」です。32mの鉄筋コンクリートアーチは、北海道一の大きさを誇ります。日光が当たる南側は凍害を受けてコンクリートが劣化していますが、まだまだ丈夫は橋です。周囲は釣りと桜の名所です。 音更川に架かるところは36mの鉄の桁橋でした、いまは撤去されています。残ったアーチ橋の上には木が茂り、列車が走らなくなってからの歳月を感じさせます。 |
ご協力をお願いします。 ★ 路上駐車は大変危険です。交通事故にはくれぐれも注意して、 車は駐車スペースに置いて見学しましょう! ★ かけがえのないみんなの自然を大切にしましょう! ●すべてのアーチ橋は大雪山国立公園内にあります。写真撮影のため に木の枝を折ったり、植物を採取する事はしないで下さい。 ●「持って帰っていいのは思い出だけ、、残していいのは足跡だけ」の マナーでアーチ橋達と楽しく接して下さい。 ★ 何気なく捨てたゴミがになります。 ゴミは必ず持ち帰りましょう! ★ 現在多くのアーチ橋が危険防止の為、立入禁止になっています。 皆様のご理解とご協力をお願いします。 |
(1936年建設 橋の大きさ: 全長 71m 10m×2+32m+10m) 32mの鉄筋コンクリートアーチは、北海道一の大きさを誇ります。 泉翠峡という景勝地にかかる美しい橋です。 (登録有形文化財) 旧士幌線のアーチ橋の中でも代表的なものが、第三音更川橋梁である。この橋は鉄道建設研究史上からも高く評価されている。 2020年に再生工事を実施しました。 |
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標識 |
第二音更川陸橋 (1936年建設 橋の大きさ:全長62m 10m×5) 音更川の断崖絶壁に沿った士幌線では川を渡らない陸橋もつくられました。 淵に落とすアーチの影はとてもきれいです。 またとてもきれいな石積み護岸が続き、天然素材とコンクリートアーチの人工素材が自然と調和している美しい景観を見ることができます。 秋 |
第四音更川橋梁 (1936年建設 橋の大きさ: 全長91m 10m×2+36mG+10m×2) 音更川に架かるところは36mの鉄の桁橋でしたが、今は撤去されています。 残ったアーチ橋の上には木が茂り、列車が走らなくなってからの歳月を感じさせます。 |
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1954年度から施行していた糠平ダム建設に伴う士幌線の一部線路付替工事が一段落し、1956年度にはこの線路付替えに関連した士幌線・清水谷〜糠平間の線路撤去工事を施行していたが、第四音更川橋梁・橋桁撤去作業中に、この重大事故は発生した。
撤去する桁は桁長36.4m、重量62tの舟形プレートガーターで手延べ式により撤収することになっていた。1956年午前8時30分、桁引出しを開始まもなく突如として接続部分が切断し、橋桁は墜落した。 原因は3m引き出す毎に段取り替えを行う手筈の打合せになっていたのに、一気に12m引き出してしまったためで、一瞬の出来事であった。 この事故により死者2名、重傷者4名を出してしまった。 【北海道軌道施設工業(株)五十年史】より |
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第六音更川橋梁 (1938年建設 橋の大きさ: 全長96m 10m×6+23m) 2019年7月に一部損壊しました。 損壊前 |
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損壊後 |
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糠平川橋梁 (1955年建設 橋の大きさ: 全長 63m 15m×3+10m) 糠平温泉の小鳥の森の散歩道のコースともなっています。糠平ダムの建設で士幌線が付け替えとなったときにつくられました。極寒地でも耐える新しいコンクリートを使って作られたため、まだまだしっかりしています。 北海道自然歩道の一部になっていて、橋の上を歩けます。 |
三の沢橋梁 (1955年建設 橋の大きさ: 全長40m 10m+15m+10m) 中央の大きな白いアーチ部分が糠平湖の湖面に映えて、青と白のコントラストがきれいです。 北海道自然歩道の一部になっていて、橋の上を歩けます。 早春 |
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初夏 | |
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十三の沢橋梁 (1938年建設 橋の大きさ: 全長58m 10m×5) (登録有形文化財) 夏 |
秋 |